斉藤 等さん・「日中友好の橋渡し」

(「ネットワークNHK」4月号から)

1 ディレクター出身の齋藤等さん、専門は主として科学・自然番組。若い頃から仕事熱心でまじめな努力家として知られていた。各地の勤務で経験を積むに従って酒の味を覚え、時に度を越して職場や家族に迷惑をかけたこともあったようだ。定年も近くなった頃から次の展望として、中国に関心を持つようになった。亡き母の旧満州旅行の思い出話や勤務地・北海道の風土が中国東北部に似ているという親近感もあった。仕事の合間に文化教室で中国語の学習を始めた。
 ところが思いがけない転機が訪れた。孝子夫人が、がんの宣告を受けたのだ。学習は手につかず看護に専念したが、夫人は二年後に帰らぬ人となった。65歳の若さだった。思い返せば数年前、退職後の住居に手ごろなマンションを都内に見つけた。だが、酒を飲む日々で蓄えが足りず、あきらめようとした。その時、孝子夫人が、まとまった金額の通帳を差し出した。夫の知らないうちに、こつこつためたものだった。おかげで終の住みかを手に入れることができたのだ。
 山内一豊の妻を思わせる賢夫人の死去で、言い知れない深い反省と感謝の念が齋藤さんの胸を打った。これを契機に生活を改め、酒を一切絶って残りの人生を踏み出す決意を固めた。中国語の学習を再開し、没頭した。併せて日本語教師の資格を取得。
2無題 勉強ぶりを見た文化教室の先輩から、大連工業大学の日本語教師に、と誘いがあった。大連には日系企業が多く、そこで働くことは現地の若者のあこがれだ。NHK関連の仕事をすべて終えて平成23年の秋、大連に赴任した。学生たちに日本語・日本の文化、そして日系企業への就3活のコツを教え、一躍人気教師になった。全中国日本語スピーチコンテストなどで、多くの教え子が上位入賞するのに時間はかからなかった。
 この功績を高く評価した大学は、昨年の暮れ、特別貢献賞を授与し、「我が校の日本語教育や人材育成に力を尽くし、中日友好交流に特別な貢献を果たした」と齋藤さんをたたえた。
 齋藤さんは「日中関係が難しい今こそ、NHKで学び培った経験を生かし、ささやかだが日中文化の橋渡しに努めたい」と話している。
(文・東京旧友会村上 達彌)

昭和20(1945)年生まれ。昭和38年入局。以降 主にディレクターとして東京・名古屋・鹿児島・旭川で勤務し、
平成13年退職。

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