上條行雄さん「中国残留孤児帰国者の支援を続けて30余年」

(ネットワークNHK11月号から)

無kamijo上條行雄さんは現在、山梨県日中平和友好会会長です。会長に就任し、7年になります昭和47年、日中国交が正常化し、昭和53年に日中平和友好条約が締結されました。日中平和友好会はその前年に東京本部が設立され、2年後の昭和54年10月、支部としては全国で初めて、山梨県で結成されました。
 上条さんは、第二次世界大戦の混乱で中国に残された日本人孤児の帰国の支援活動を在職中から始め、約30年になります。
 主な活動は残留孤児の肉親捜しと、帰国後の支援(日本語教育・就職・就学・住宅の確保)などです。生活物資の援助、住宅入居などの身元保証人であり、自立指導員をしています。現在、会員は130名ですが、帰国者と二世、ボランティアの方々など多い時は200名余りもいました。
 残留孤児の一世は高齢化し、平均年齢は76歳になるそうです。二世・三世は国の支援も薄く、仕事もなかなか見つからないため、生活環境も厳しく、また、中国で学校に通うことができなかったため、中国語さえ読み書きが困難な人もいて、日本語を学ぶのは
かなり難しいようです。
 最近は領土問題や国会議員の靖国神社参拝などにより、日中関係が悪化し、中国では
反日デモが行われたりしますが、帰国者たちからは「中国にはたくさんの人々が住んでいますが、日本に対して悪い印象を持っているのは一部の人たちです。理解してほしいです。」と言われることも多いそうです。 
 最近の活動としては、日本航空学園(山梨県甲斐市)で開催された、日台友好文化祭山梨大会で、撫順から来日した青少年と交流がありました。山梨県福祉保健部主催の中国残留邦人等郷土見学会では、県立博物館や考古博物館見学などで、山梨県の歴史やchina
文化を満喫したり、世界文化遺産に登録された富士山周辺の博物館などを見学しました。また去年秋には、中国大使館に招かれ中国国際友好連絡会で交流を深めました。  
 このほか「平和祈念展in甲府」の見学、日本語教室合同クリスマスの集いなど、趣向を凝らした活動を行っています。今年も、外国人のための災害時の避難訓練を学ぶNPO法人研修や、富士山周辺の清掃を行うふれあいクリーン活動、ボランティアバザーなど、もろもろの行事が計画されています。
 支援を長く続けられる原動力は何ですかと聞くと、「帰国者の喜ぶ笑顔でしょうか。仲良くなると、皆頼りにしてくれます。頼りにされ、助けを求められ、喜ばれれば自分自身も幸せになれます。」と笑顔で答えてくれました。
 山梨県日中平和友好会が、年4回発行する会報も136号を数えました。上條さんは
多くの帰国者に“ 先生、先生”と信頼され、頼りにされ、日中平和のために、第二の人生の柱として、誠心誠意ボランティア活動に日々励んでいます。
(文・甲府旧友会 中村 利夫)

上條行雄 (かみじょうゆきお)さん 昭和12(1937)年生。昭和42年入局。以降、平成9年の退職まで甲府局で総務・営業・編成事業などの業務に従事。現在、山梨県日中平和友好会会長。

上條行雄さん「中国残留孤児帰国者の支援を続けて30余年」 への2件のフィードバック

  1. 嶋田 道子 のコメント:

    良いお仕事をなさっておられることに敬服です。
    残留孤児を育ててくれた中国人のいたことを知って、本当に感激しました。
    日本に来られた孤児たちの子孫にも何人かお会いしました。
    現在、私は東京豊島区でグループホームをNPOで経営していますが、ここでは
    子孫の方たちを積極的に採用しています。
    交流できたらいいですね。
    それと別件ですが、かって山梨局にいた末 利一さんはどうしておられますか。
    もしわかったら教えてください。
    ご健闘を祈ります。

    • 上條行雄 のコメント:

      嶋田道子さんへ 末利光さんは、昨年までNHK甲府放送局のOB甲府旧友会の会長として、仙台へ行ったり東日本大震災の被災者支援活動に取り組んだりしていました。正義感の強い人で、戦場で亡くなったフリージャーナリスト山本美保さんの、遺品展をNHK甲府放送局のロビーで開催したりしました。
      春日居郷土資料館館長を長く続けていました。講談師でもあります。

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