川田明理さん「美しい棚田の風景を守る」

(「ネットワークNHK10月号」から)

kawa1 大阪府北部の小さな町、豊能町を久しぶりに訪ねた。川田さんとは、若い頃大阪局報道部で一緒に仕事をし、酒を友に語りあった間柄。その彼に会うためである。豊能町高山地区は、戸数70、山あいののどかな集落である。キリシタン大名 高山 右近が誕生した所でもある。
高山地区には、120枚ほどの棚田がある。この中には、耕す主人をなくした田畑が点在する。耕作放棄地である。豊能町は、今から6年前、国の棚田基金を活用し、美しい棚田の風景を取り戻そうと、ボランティアを募集した。「農のふるさと協力隊」である。彼はそれに応募した。集まったのは17人、ほとんどが定年退職者である。耕作放棄地は、棚田10枚、1100坪の広さである。大人の背丈ほどもあるススキと竹が、我がもの顔に生い茂っていた。ススキのkawa2株は、大きく無数にある。竹の根は、縦横無尽にはびこっている。まさに「開拓だね」という言葉と共に玉の汗が滴る。補助金を利用して徐々に農機具を買いそろえ、2年前、中古の耕うん機を購入したという。作業効率は一気に上がり、棚田の姿が大きく変わった。活動は、月に4回、朝9時から正午まで行う。
耕うん機をかけると黒々とした土が顔をだす。豊穣の大地だ。四季折々に収穫する野菜を植える。すると、動物との戦いが待っていたという。手ごわい相手は、鹿と猪である。「ネット」や「電気柵」を畑の周りに張り巡らす。農家の人が、『鹿や猪は、物陰で農作業の様子をじっと見ている。今植えたらいつ食べごろになるかわかるkawa3のだ』と面白いことを話す。ちょっと油断すると、この言葉どおりになるから悔しいと、川田さんは語る。大阪府は年一回「農空間づくり活動交流会」を開催している。同じ目的を持つ仲間たちとの意見交換会だ。「労多くして収入が少ない」「子どもに農業を継げと言えない」「鳥獣被害が大きい」という声が多い。国の調査でもこうした状況が、農業をやめる大きな理由の一つだとしている。耕作放棄地の面積は、39・6万ha、埼玉県よりも広い。彼らの活動は、小さな「点」である。「棚田は美しく自然がそこにある。その姿を守るためもう少し頑張る・・・」という言葉で口を結んだ。彼と共に棚田をあとにした。家路につく時、幼い頃覚えた「ふるさと」を口ずさんでいた。ふと気がつき、可笑しかった。
kawa4(文・近畿旧友会 三好 勝徳)

川田 明理(かわた  めいり)さん 昭和17年生。昭和38年入。ディレクターとして大阪局報道部、報道局などで、主に報道番組、スポーツ番組を担当。平成11年退職。大阪府豊能町在住。平成25年から豊能町立文化ホールの館長を務める。

川田明理さん「美しい棚田の風景を守る」 への1件のフィードバック

  1. 井上勝利さん のコメント:

    1984(昭和59)年~1988(昭和63)年、1994(平成6)年~19997(平成9)年と2回のBK勤務で川田さん、三好さんに大変お世話になった当時編成の井上勝利です。川田さんのあの白髪が懐かしく思い出され、ちっともお変わりない風貌に嬉しく、そして今もって大きく社会貢献されている姿には尊敬と羨ましい気持ちでいっぱいです。川田さんを紹介なさった三好さんにも高く敬意を表します。社会とは何も接触がなく闇雲に馬齢を重ねている我が身に“喝”を入れられました。1回目のBK勤務ではグリコ森永事件・豊田商事・伊丹行日航ジャンボ機御巣鷹山墜落・餘部鉄橋列車転落事故等々、次々と起こる事件事故対応にNHKへの風当たりが強い関西圏では公共放送の存在が試されていたと思います。2回目の勤務では何と言って阪神淡路大震災です。報道現場と一体となって編成措置を行ったかつての自分が川田・三好両氏によってよみがえったような気分です。40数年に及ぶNHK及び関連団体人生で、BKでのあの7年間は最も大切な忘れてはならない時間でした。ありがとうございました。

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