40年ぶりに甦った河川盲目病の映像

  吉松英美

今年のノーベル医学生理学賞を受賞した北里大学特別栄誉教授の大村 智氏の受賞理由は、寄生虫の予防薬「イベルメクチン」の開発によって何億人もの河川盲目病(オンコセルカ症)の患者を失明から救った功績によるものである。

 この耳慣れない病気「河川盲目病」は赤道を挟んで南北一帯に見られる病気で、アフリカのみならず南米でも患者が発生している。ブヨに嚼まれるとやがて視神経が麻痺して失明する恐ろしい病気である。

わたしたちは40年前の昭和49年の暮れにこの病気を取材し、翌年3月にNHK総合テレビで「褐色の風土」というタイトルで放送した。取材班は松尾 伸(教養番組部)、吉松英美(通信教育部)、清水幸浩(撮影部)の三人であった。

 昭和47頃から始まったオイルショックで第三世界と呼ばれていた開発途上国は、石油を産出する国とそうでない国との間に格差が生じ、後者の国々は第4世界と呼ばれ、深刻な危機に見舞われていた。私たちはこれら第4世界の国から国連の統計でGNPが下から数えて1,2,3といわれたネパール、バングラデシュ、そして西アフリカのオートボルタ(現ブルキナファソ)の三国を「水と病気」というテーマでおよそ40日かけて取材した。取材には世界銀行が協力し、ネパールを除く取材地での通訳と車を提供した。

 ネパールではインドとの国境に近い村で水と結核の関係を、バングラデシュでは毎年この地域を襲うサイクロンよる洪水と難民の病気を、そしてオートボルタでは、川で魚を取ったり、洗濯をするうちにブヨに嚼まれて、ほとんどの大人が失明したある村を訪れ、その様子を取材した。それが河川盲目病(River Blindness)であった。

 オートボルタは、大村教授が関わってこられた西アフリカのガーナのすぐ北にある。1960年にフランスから独立した。面積は日本のおよそ70%で、人口は1,700万人(2013年)。わたしたちが取材した当時は、独立後15年ほどで、公用語はフランス語であるが、識字率は10%といわれ、取材では英語⇔フランス語⇔モシ語の三段通訳であった。

 移動するときは、棒切れをつかんで長い列を作り、子どもと犬に先導されて歩いて行く。それは異様としかいいようのない衝撃であった。当時はヘリコプターからDDTを散布するのがブヨ対策の中心であった。しかし、DDTは川にいるブヨの幼虫を駆除するけれども、同時に魚も殺し、かつ水質汚染を起こすため、賛否両論があると聞いた。

ノーベル医学生理学賞が発表された翌日の10月6日(火)の朝、知り合いの報道局社会番組部のCPに「褐色の風土」のことをfaxで連絡した。すると30分ほどして番組が保存されている事を確認したという返事があった。そして夕方の「しぶ5時」のニュースと翌7日の大村教授が生出演した「クローズアップ現代」で番組の一部が放送された。

 日本では一般にはほとんど知られていない病気であり、大村教授の受賞ニュースでもガーナでのわずかな映像が放送されたのみであった。その意味では、40年前のものではあるが、貴重な映像といっていい。数年前にアメリカの週刊誌で子どもたちに引かれて歩く人たちの写真をみたことがある。状況は変わっていないなと思った。

 大村教授のノーベル賞受賞によって、わたしたちの取材した番組が40 年後に甦ることになろうとは、まことに思いもしなかったことである。

 折角の機会なので、取材時にオートボルタでお世話になった文化人類学者の川田順造氏のことに触れ、感謝の意を表したい。

 川田先生はフランスのレヴィ・ストロースの研究者で、「悲しき熱帯」ほかの翻訳で知られる。著書には「曠野からーアフリカで考える」(中公文庫)、「無文字社会の歴史—西アフリカ・モシ族の事例を中心に」(岩波現代文庫)、「〈運ぶヒト〉の人類学」(岩波新書)等多数がある。

 10月16日に山梨県韮崎市の「韮崎大村美術館」へ行った。たまたま大村教授が受賞後初めての帰郷をしておられ、同教授が掘ったという温泉の入り口で立ち話をする栄に浴することが出来たのは僥倖であった。

 

 

40年ぶりに甦った河川盲目病の映像 への1件のフィードバック

  1. 佐藤 茂 のコメント:

    当時のNHKの 取材番組は、素晴らしく深く掘り下げて、調べた内容を、淡々と報道していた。現在のものとは比べようがない。
    特に昭和40年代から50年代のNHK特集など、命を懸けて取材されていたと、画面からも伝わってくる。
    松尾伸さんは、交信を傍受せよ(2・2・6事件)、山口組分裂について組事務所内での取材 など、取材人としての魂が、見える。
    松尾伸さんについて、もっと、知りたい。

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