久米 和雄さん「50歳からの”絵描き人生”」

(「ネットワークNHK」4、5月号から)

kume 「おーい、ビンコー。今、箱根で紅葉をスケッチしてるぞー。」相変わらず元気な声が電話口の向こうから飛び込んできた。昨年11月に電話をもらった時の第一声である。  この3月で傘寿(80歳)を迎えた久米さんは、昭和34年に入局。ほとんどを東京で勤務するなか、昭和48年と59年からの2回、それぞれ3年間の札幌勤務がある。2度目の札幌は単身赴任となり、この単身暮らしを励ますべく、奥さんと息子さんから「日曜日には大通り公園を描いて」とのカードが添えられた真新しい油絵道具一式が自宅から届いたという。絵描き人生ここに始まる―と書けばつながりもいいのだが、本人曰く「忙しくて、それどころではなかった」そうだ。  昭和62年東京に帰り、これまでの暮らしに戻ると、しばらくして落ち着かなくなってkume1きたらしい。北海道の雄大な自然を描きたいという強い気持ちに突き動かされ、地元横浜の画家の門をたたいた。かくして50歳からの〝絵描き人生〞は始まった。のちに「北の大地でひとり眺めた多くの森や湖が、皮肉にも札幌をあとにして初めて私に絵筆を持たせ、風景の本当の姿を教えてくれることになった」と話していた。 いまひとつ、今日まで長いおつきあいをねがってきた筆者として、久米さんの絵描き暮らしを思うとき、北の大地とともに奥さんの存在を忘れてはならない。女子美出身で、描くことではご主人より先輩のはず。単身暮らしに変化を、と絵筆を送ったのも絵心を知るひとのアイディアだったのだろう。7年前に他界されたが、毎年銀座で開かれる2kume久米さんの個展に時折夫人の遺作が展示されているのを拝見すると、久米さんの絵描き人生は今もおふたりで歩んでいるような気 がする。 こうして50歳からスタートした〝絵描き人生〞だが、その作品は、流形展文部大臣奨励賞や都知事賞など数々の賞を受ける本格派。放送センターの中にも何点か飾られていた。生来の気さくな性格から多くの先輩・後輩からも慕われ、先輩の自費出版本の装画も引き受けるなど多彩。地域の絵画活動にもかかわり、また、伝統ある日本のアkume3マチュア絵画集団「チャーチル会」の東京幹事長を務めるなど、絵を通してますます交友の輪を広げている。  OBの方々のさまざまな生き方に接する機会が多い筆者にとって、久米さんの〝絵描き人生〞は、自分が思い描く理想のOB人生なのかもしれない。  北海道はもとより、全国各地そして海外へとスケッチの旅を続けている久米さんは、私が原稿を書いている今頃も、きっと日本のどこかで元気に絵筆を走らせていることだろう。 (文・東京旧友会 鈴木 敏光)


久米 和雄(く めか ず お)さん  昭和12年(1937年)生。昭和34入局。金沢を振り出しに、主に東京の広報・総務・人事業務に従事。昭和48年からと昭和59年からの2回、それぞれ3年間札幌勤務。平成6年退職。その後関連団体を経て現在に至る。

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